8050問題のひとつの終焉。ひとつの死。
8050問題を知っているだろうか。
2010年代以降の日本に発生している高年齢者の引きこもりに関する社会問題で、引きこもりの人が長期化し、親も高齢にとなり収入や介護に関してなどの問題が起こり、80代の親と50代の子の親子関係の問題であることから「8050問題」と呼ばれる。
私の叔父がこれであった。
幼少のころは、盆正月に母方の実家に帰る度にそこに居る叔父さんという存在で、色々なことを教えてくれるもの知りな叔父さんは子供にとって尊敬される好きな存在であった。
仕事をせずに家にいるということは、なんとなく知っていた。が、それについて特にマイナスな感情もなかった。
そこに居るのが当たり前で、特に自室に引きこもるわけでもなく普通に存在していたからである。
仕事をしなくても生きていけるんだなぁと思ったくらいである。
家から車で30分くらいの所に母方の実家はあって、高校を出て就職してからは年に1、2回くらいふらっと遊びに行くくらいの距離感であった。
遊びに行くと「買い物に行きたいから連れてって」と祖母にお願いされ、近所のドラストに連れて行ったり。
帰りにこそっと「感謝の気持ち」をお小遣いとして手渡された。
叔父さんに内緒でくれる数千円のそれは、社会に出て働いている身からしたら特に必要ないものであったが、「受け取るのも孫孝行かな」なんて軽い気持ちで受け取っていた。
今から思えば家族二人年金で暮らすための貴重なお金であったんだろうなと思う。
様子が変わったのは、10年程前に祖母が脳出血で倒れ、ほどなく亡くなってしまってから。
身内のみで行われた通夜葬式では、常に重い空気が流れていた気がする。
これから叔父さんはどうするのかなんて心の中で思っていても誰も口にしなかった。
叔父さんからしたら姉弟のこどもでしかない私たちに言われたくないだろうし、私たちもそれを言う立場ではないと感じていた。
ただ漠然と、お祖母ちゃんの貯金を切り崩す生活になるんだろうな、と思っていた。
社会に出れるとは、まったく考えられなかったのである。
その考えは正しくて、それからずっと叔父さんは家に引きこもって生活をしていたらしい。
つい先月、兄から「叔父さん、亡くなったって」と聞かされるまで叔父さんの存在は頭の片隅にいてたまに思い出すくらいの存在でしかなかった。
叔父さんは孤独死だった。
貯金残高数十円
これは、叔父さんの最後の所持金額である。
一千万円ほどあった祖母の遺産を使い切り、外に働きに出なかった叔父さん。生活を祖母に頼っていた叔父さんの家の中はごみ屋敷になっていたらしい。
預金残高はなかったが、家の中にはお米もあり、明日食べるものもない状態でなかったが、真夏の時期に電気代節約のためエアコンを入れずにいたため、おそらく熱中症で倒れ帰らぬ人になったのではないかと、近所から通報され叔父さんの遺体を見つけた警察が言っていたとのこと。
最近姿を見ない、と警察に通報してくれたご近所の方にはただただ頭が下がる思いである。
叔父さんはずっと働いていなかったけど、祖母は叔父さんのために年金を払っていたから繰り下げ受給の手続きをすれば年金をもらえた。にも関わらずその手続きをしていなかったのは「繰り下げ受給の手続き自体を知らなかった」と思う。
この令和の時代に、叔父さんはパソコンはおろかスマホすら持っていなかった。
情報の収集元はテレビしかなかったのである。
そして、見て見ぬふりをしていた私たちは、容易に「助けて」と相談できない環境にしていたこともまた事実である。
どうしたら救えたのか
亡くなった今こうして考えても手遅れかもしれない。それでも一人の姪として、引きこもりの叔父がこの世にいて孤独死したという事実を残したいと思った。
おそらく叔父はなんらかの精神疾患を抱えていたのだと、今更ながら兄弟で話していて分かった。
どういった症状があったかというのは割愛するが、昔ながらの考えで精神の病気は一般的に認知されておらず病院に行くことはなかったが、今なら一刻も早く病院に行き症状を和らげる薬を処方してもらうことができたのに、と考える。
たらればを考えても栓がないことかもしれないが、どうしても考えずにはいられないのである。
今私はこうして記事を書いているが、本当に8050問題で困っている人の元には届かないであろうことは察している。
けれど、こうした事例を書くことにより読んだ人の心に刺さり、そういった環境で悩んでいる人を救うきっかけとして関与できれば嬉しく感じる。
人を好きと思う感情はどこからやってくるのか。自己評価低い女子の葛藤。
突然だが、現在好きな人がいる人はどれくらいの割合でいるのだろうか。
>恋人がいる人の割合は33.4%で、恋人がいない人の割合は66.6%と2019年調査と比べて大きな変化はない
>20〜40代未婚男女のうち、恋人がいる人の割合は33.4%、恋人がいない人の割合は66.6%になり、そのうち交際経験のない人は28.6%。2019年調査と比べてそれぞれ大きな変化はない。女性より男性の方が恋人がいる人の割合が低く(男性:30.7%、女性36.9%)、これまでに交際経験がない人の割合が高い(男性:32.9%、女性23.1%)。
株式会社リクルートの2021年の記事より
上記の記事では交際経験がない人が男性女性ともに一定数いるが、その中でも「恋はしているが告白できない」という人もいると思うので、好きな人がいない割合はさらに落ちるのではないかと思う。
(付き合っているけど相手は別に好きじゃない、なんて人はいると思うが、肉体関係があるお付き合いをしている時点で少なからず相手に好意があるのだから考えないでおく)
主である負け犬は、人を好きだという感情が分からない人間だ。
巷によくある恋愛小説で書かれている感情の機微は理解できる。が、自分が同じ感情を抱けるか、というのは別の話。
学生時代の修学旅行等で女子の話題のひとつである「負け犬ちゃんは誰が好きなの~?」というフレーズの回答には大変苦慮した記憶がある。
それと同列で「好きな俳優はー?」「どのアイドルが好みのタイプ?」というフレーズの回答も持ち合わせていなかった。
だから同級生の女子たちの好き・嫌いの話は遠い別の世界のお話だと思って聞いていた気がする。
誰か好きな人が居ないといけないのか。
まともな人間なら、誰かを好きになることが出来るのか。
そんなことを考えてモヤモヤしていた。
おそらく、人を好きになれないのは私の人格の形成に少しばかり問題があるのではないかと思う。
好きなことを好きと言えない。
人と比べてあれこれ考える私は、しっかりとした「個」となる自分がない。
これは幼少期に放置され、褒められた経験が少ないことが起因していると思う。
小学生のころ、友達のグループ4人の内の一人が漢字テストで90点以上を取ったことがあり、それを聞いて私は「ふーんそうなんだ」としか思わなかった。
その時一人の子から「なんで負け犬ちゃんは褒めないの?このテストで90点以上取れた子って数人しかいないんだよ?凄くない?」と責められた。
それに対して「褒める」ことが出来なかった私は、褒めてしまったら自分の中の何かが否定されそうで堅く口をつぐんだ記憶がある。
その時おそらく自分が頑張っても褒められた経験がなかった。
逆にテストで悪い点を取っても、そもそもテストを見せる習慣がなかったから怒られることもなかった。期待されていない子供だったのだ。
自分が頑張っても認められないのに、なぜ人を褒めなければいけないのか。
褒めることが普通であると認めると、褒められない自分は普通じゃないと認めることになると無意識に感じていたのだと思う。
好き、を伝えたところで返ってくるものがない。
成功体験の少ない子供は、自分の好きを隠すようになる。
これは、心の防衛術の一つであったのではないかと思う。
最初から「好きなこと」「したいこと」を伝えても、それが叶えられないならば期待するだけこころが傷つく。
それならば気持ちを隠したら。最初から好きにならなければ。
そうすればこころの中は平穏で荒れることもない。
子供のころから誕生日のプレゼントもなければ、クリスマスに枕元に置いた靴下が膨らむことはなかった。
それでも、近所の子は「サンタさんから手紙とプレゼントをもらった!」と本気で喜んでいる子がいて。
この子は本気でサンタさんが居ると思っているのが不思議で仕方なかった。
サンタさんがこの世に居るのなら、どうしてうちには来ないの?
私がプレゼントをもらっていないことが、サンタさんがこの世にいない証明だった。
うちはうち、よそはよそ、を物心つく前から悟っていた。
心の成長が、サンタさんからのプレゼントを待つまま今も止まっているんだなって思う。
家が貧乏で、放置された子供が大きくなった結果が私なのである。
そんな私が結婚できたのは
正直今でも「好き」という感情はよくわからない。
自分という存在が認められ、求められて、それを受け入れることが出来るようになるまではずいぶん長い年月を要した。
今ではそこに居るのが当たり前の存在が出来たのは、幸運以外のなにものでもないけど。
旦那に「好き」と言えないのは今現在も絶賛継続中である。
結婚したいけどしたくない、三十代女子の複雑な心境
二十代の頃は結婚なんてしたくない。
自由に生きて、自分の趣味を楽しんで、人に縛られない生活の方が人生楽しいんだと本気で思っていた。
地方の工場勤務のお給料は、手取りで二十万も貰えなかったが、実家に寄生し生活費も入れなかったら自由になるお金は多い。
お給料の大半を好きに使っていた。
好きなアーティストのライブ遠征、一席三万のプレミアムチケット、外食だってし放題。
私みたいな一人を満喫する層をターゲットにした企業の戦略も大いに貢献してくれた。
ストレス解消にヒトカラに行くのも大好きだった。
でも人間、好き勝手に生きるには「独り」だととうに飽きてくる。
二十代の後半でようやく「婚活」するかーと重い腰を上げた。
最初に行った婚活はもう覚えていないけど、政府の支援もあってか女子は500円、お土産付き!なんてうたい文句の婚活パーティーがそこら中に溢れており、毎週のように開催されていた記憶がる。
その中でも某お菓子屋さんの有名なお菓子が持ち帰れるパーティがお気に入りで。
完全にそのお土産を狙いにパーティーに参加していた。
その頃は結婚したくてパーティに参加していたのではない。
500円払えば2000円相当のお菓子が貰えて、さらに「人気」な女子は次からのパーティーが無料になる魔法のチケットが貰えたので、ただでお菓子をもらえる素晴らしい錬金術の会場だ、とすら思っていた。
男性の視点で考えると、結婚を真剣に考えて、高いお金を払って参加している人からしたら、参加してほしくない代表の女子である。
でも今から考えると「お菓子目当て」なんていいつつ、それでもいい人がいれば付き合いたいと考えていた甘い考えの女が良縁を結べるわけもなく、「顔がいい」「高身長」で「高年収」の男子からは全く相手にされていなかった。
所詮その程度の女だったのだ。
ちなみに、男性の中にも全くやる気のない人はいて、高年収、さわやか系男子と人気のある男性とマッチしたことがあるが、どうやら相手は「捨て」の選択で選んだ私となぜかマッチしてしまい「え??嘘?」と思い切り狼狽を表に出されたこともあった。
その男性とはその後半年くらい週一で食事しに行くことになるのだが、それはまた別の話にしておく。
パーティの形式はたいていの場合、男性が席を移動して全員と軽く話す「回転ずし」方式であった。
目の前に来た男性とやり取りし、人見知りながら相手のプロフィールを見て話題を探し、話を途切れさせないよう必死に頑張った。
それが数分ごとに繰り返され、6~13人程(パーティーの規模により異なる)相手に話続けても、正直誰が自分のパートナーとして好ましいかなどさっぱり分からなかった。
これは、人それぞれ性格によるものだと思うが、コミュ障な私にとっては楽しさのない苦痛な時間でしかなかった。
自分から離れて次の女性のところに行った隣の席から、楽しそうな笑い声が聞こえるだけで「私より楽しそうにしている・・・」なんて落ち込んだりする。
人と比べてしか自分の存在価値を確認できない女にとっては、「自分の意志で気に入った男性を選ぶ」という行為が難しかったのである。
そんな私でも何とかお互い気に入ってマッチングすることができ、デートする仲になる男性が現れるのだが結局婚活パーティーで知り合った男性とは結婚することができなかった。
その理由を別の記事で考察していこうと思う。
人生負け犬30代後半女子の逆襲
二十代から婚活を始め、現在三十代の後半となった私人生負け犬。
一発逆転目指して日々奮闘中。
人生勝ち組になりたいけど、気付いたらこの年になってしまった。
これからの人生を取り戻したい。
そんな負け犬アラフォー女子の徒然を綴っていこうと思う。
結論から言うと。
今年の四月、見事結婚することができました。
結婚するまでに至った話と、これからの不安の話をこちらは日々の備忘録として記していきたいと思う。