人を好きと思う感情はどこからやってくるのか。自己評価低い女子の葛藤。
突然だが、現在好きな人がいる人はどれくらいの割合でいるのだろうか。
>恋人がいる人の割合は33.4%で、恋人がいない人の割合は66.6%と2019年調査と比べて大きな変化はない
>20〜40代未婚男女のうち、恋人がいる人の割合は33.4%、恋人がいない人の割合は66.6%になり、そのうち交際経験のない人は28.6%。2019年調査と比べてそれぞれ大きな変化はない。女性より男性の方が恋人がいる人の割合が低く(男性:30.7%、女性36.9%)、これまでに交際経験がない人の割合が高い(男性:32.9%、女性23.1%)。
株式会社リクルートの2021年の記事より
上記の記事では交際経験がない人が男性女性ともに一定数いるが、その中でも「恋はしているが告白できない」という人もいると思うので、好きな人がいない割合はさらに落ちるのではないかと思う。
(付き合っているけど相手は別に好きじゃない、なんて人はいると思うが、肉体関係があるお付き合いをしている時点で少なからず相手に好意があるのだから考えないでおく)
主である負け犬は、人を好きだという感情が分からない人間だ。
巷によくある恋愛小説で書かれている感情の機微は理解できる。が、自分が同じ感情を抱けるか、というのは別の話。
学生時代の修学旅行等で女子の話題のひとつである「負け犬ちゃんは誰が好きなの~?」というフレーズの回答には大変苦慮した記憶がある。
それと同列で「好きな俳優はー?」「どのアイドルが好みのタイプ?」というフレーズの回答も持ち合わせていなかった。
だから同級生の女子たちの好き・嫌いの話は遠い別の世界のお話だと思って聞いていた気がする。
誰か好きな人が居ないといけないのか。
まともな人間なら、誰かを好きになることが出来るのか。
そんなことを考えてモヤモヤしていた。
おそらく、人を好きになれないのは私の人格の形成に少しばかり問題があるのではないかと思う。
好きなことを好きと言えない。
人と比べてあれこれ考える私は、しっかりとした「個」となる自分がない。
これは幼少期に放置され、褒められた経験が少ないことが起因していると思う。
小学生のころ、友達のグループ4人の内の一人が漢字テストで90点以上を取ったことがあり、それを聞いて私は「ふーんそうなんだ」としか思わなかった。
その時一人の子から「なんで負け犬ちゃんは褒めないの?このテストで90点以上取れた子って数人しかいないんだよ?凄くない?」と責められた。
それに対して「褒める」ことが出来なかった私は、褒めてしまったら自分の中の何かが否定されそうで堅く口をつぐんだ記憶がある。
その時おそらく自分が頑張っても褒められた経験がなかった。
逆にテストで悪い点を取っても、そもそもテストを見せる習慣がなかったから怒られることもなかった。期待されていない子供だったのだ。
自分が頑張っても認められないのに、なぜ人を褒めなければいけないのか。
褒めることが普通であると認めると、褒められない自分は普通じゃないと認めることになると無意識に感じていたのだと思う。
好き、を伝えたところで返ってくるものがない。
成功体験の少ない子供は、自分の好きを隠すようになる。
これは、心の防衛術の一つであったのではないかと思う。
最初から「好きなこと」「したいこと」を伝えても、それが叶えられないならば期待するだけこころが傷つく。
それならば気持ちを隠したら。最初から好きにならなければ。
そうすればこころの中は平穏で荒れることもない。
子供のころから誕生日のプレゼントもなければ、クリスマスに枕元に置いた靴下が膨らむことはなかった。
それでも、近所の子は「サンタさんから手紙とプレゼントをもらった!」と本気で喜んでいる子がいて。
この子は本気でサンタさんが居ると思っているのが不思議で仕方なかった。
サンタさんがこの世に居るのなら、どうしてうちには来ないの?
私がプレゼントをもらっていないことが、サンタさんがこの世にいない証明だった。
うちはうち、よそはよそ、を物心つく前から悟っていた。
心の成長が、サンタさんからのプレゼントを待つまま今も止まっているんだなって思う。
家が貧乏で、放置された子供が大きくなった結果が私なのである。
そんな私が結婚できたのは
正直今でも「好き」という感情はよくわからない。
自分という存在が認められ、求められて、それを受け入れることが出来るようになるまではずいぶん長い年月を要した。
今ではそこに居るのが当たり前の存在が出来たのは、幸運以外のなにものでもないけど。
旦那に「好き」と言えないのは今現在も絶賛継続中である。